要考止考
中3ー31
ミス3
11:28
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プリントをやらない日は0じゃない。
やらない日は確かにチャンスが少ない。
しかし確実に時間はあるのだ。
時間があるというのは、
物理的に24時間あればどこかにやれる時間があるという意味もあるが、
さらに言えば、やりやすい環境・タイミングが1日の中に必ずあるはずだと思っている。
どれだけ忙しい1日でも、一番マシな時間があるはず。
そこでやれないと、やらなかった1日となってしまうことが多い気がしている。
1枚のプリントを丁寧にやる(やれる)時間を1日の中で探しておく必要がある。
これはらくだをやる(1日)前に考えてみてもいいことだろう。
とは言っても、プリントを目の前におき、時間を測り始め、解き始めればなかなか途中でやめることは少ない。
この状態にまでなって、やらない理由をわざわざ考えて、やめることも少ないように思う。
プリントをやるために考えることは本当に少ない。
やれるようになるために考える時間が取れているなら、その瞬間にすぐにプリントを始めればいい。
らくだプリントが出来るようになってきていると感じられる時は、
考えてからやるべことと、
やってみてから考えればいいことの見分けがついてきているのかもしれない。
苦楽逆転
中3ー28
16:10
ミス4
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9月の振り返り
今月は振り返りが書きづらい。
というのも、らくだプリントをやることに辛さをほとんど感じなくなった。
出来ないことが現れては、できるようになる繰り返しだ。
これはシンプルに嬉しいことだ。
この感覚は何をやるにしても支えになる。
自分の能力や才能などではなく、1日の積み重ねがこそがこの感覚を得る近道なのだろう。
とは言っても、プリントをやらない日はまだある。
自分にまだ伸び代がある。
楽しみだ。
要併不要
中3−24
ミス2
時間:計測ミス
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人には自然に学習する力や、物事を最適化する能力が備わっていることを前提にすれば、
やる気に頼らなくても、大きな得がなくても、目的がなくても学んでいける。
あるいは、学ぼうとしなくても、日々学びながら生きていると言ってもいい。
しかし、多くの場合、”学び”には時間や場所に線引きをして行われるものであるという感覚を多くの人がもっているのではないだろうか。
そういう場所で、そういう人から、そういう雰囲気の中で行われるものでなければ、学んだと言わないのだろうか。
学びを日常化するということは、毎日努力して、目的を見つけて、得したい一心で取り組むことでなく、
いろんなことに線引きをなくして、条件を削ぎ落として、何となく自分でやってみることではないだろうか。
踏出勇気
中3ー19
ミス1
13:09
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できるかどうか全く見通しがない状態で、
「まーでも、やればできんじゃないかなぁ、、、?」
という感覚を持つには、
「これ・・・できるのか???」
と疑ってしまうようなことを自分で何とか考えて、
乗り越えた経験があるかないかは影響しそうだ。
自分でやってみたけど、できない・・・
そして、誰かに助けを求め、その人が寸分の狂いもなく、ワカらしてくれる。
このパターンは私の職場でもよく起きる。
そのときはいい。
でもまた次も同じことが繰り返される・・・。
これは、その時の”わからない”からは一時的に解放される。
でも、”わからない”から脱却しようと試行錯誤する力が弱まる危険性がある。
放っておかず、その学習者からもらった問いを受け止めながら、問いかえしたり、共にその課題に取り組むことで、
その学習者の試行錯誤力を弱めず、勇気を高められるかもしれない。
終わり
自作自演
中3−17
ミス:5
17:00
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職場、家、新幹線、駅のホームなど、所構わずプリントをやるようになった。
「なんで数学のプリントをしているのか?」
と問われたら、
「やると決めたから。」
と答える。
ここでやり取りはだいたい終わる。
そんなものなのだろうと感じている。笑
皆、それなりに取り組んでいるものがあったりなかったり。
大学を卒業して、数学・算数のプリントをやる。目的もなく。
らくだに特別な感覚があるということは、
いかに意味に重点を置いているか、成果に重点を置いているかを考えてみてほしい。
また、自分がどんな時間を過ごしているかも考えてみるといいと思う。
心身反応
中3-14
8:32
ミス3
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8月振り返り
4月から7月の1学期はできるだけリズムを変えずに過ごす。
変わって8月は変化のあるリズムで過ごす。
どちらが良い・悪いはない。
リズムが一定である心地よさもあれば、
変化のある過ごし方に新鮮さを覚えることもある。
しかし、ココロやカラダは1つで何かに反応するにも限界がある。
リズムが一定だろうが、変化があろうが、
どこかでゆったりする時間を作ったりしながら、自分と寄り添っていけるといい。
そういった意味では、
「らくだプリントが毎日、できている。」
というのは、バランスの良さを表すバロメーターかもしれない。
毎日やろうともせず、自然とプリントと向き合えているときは、大きくカラダもココロも磨耗していないようなときなのだろう。
適度に動いていて、かつ疲れてもいない。
このバランスをアタマでなく、カラダが勝手に作れるといいと思う。