今可不可

高校14

30:51

ミス7

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高校の因数分解に入ってからは、答えを見ながらでないとプリントを進められなくなってきた。

合格するにも5枚以上のプリントが必要になっている。

答えを見てもわからない問題もある。

プリントでは、3つまでミスができる。

プリントの中で1つの問題ができなくてもプリントを合格することも原理的にはありえる。

1、2枚目ではわからずに放っておく問題もある。

わかろうとすること、出来るようになろうとすることを一時的にやめることもある。

それでも、また次のプリントを行えばその問題は目の前に立ちはだかる。

わからない状態ではスカイツリーくらいの高さの壁に見えるが、一度できてしまうとその壁は崩れ去る。

一時は逃げることもあろう。同じ問題に30分頭を悩まさるのも辛いし、わからなくなれば誰かに聞けばいい。

「よし、次の教室に行くときに聞こう!」と決めると、わからないところを確定させないといけない。

質問をしようとする最中、わかってしまうこともあるし、他の問題を何度もやっているうちに閃いて解けてしまうこともある。(私はこのパターンがとても多い。)

毎日プリントをするのだから、やった分だけ変化し、実感しているだろう。

(毎日やると違いを感じやすい。)

毎日やると自分で決めている人は未来の自分に期待をしてもいいのかも知れない。

(自分の未来の状態をブレを少なく予測できるかも知れない。)

今この瞬間の「できない。」という体験に対して、

今できることを確実にやることで明日につながる。

 

毎日プリントをすることが前提なら、

今やるべきことに敏感になれる。

(やるべきこと、量、時は皆違う。)

毎日やると決めることと、毎日やったか(やっているか)どうかは別のことだ。

1日やらなかった昨日があるとしても、

今日できることは、どうしたら続けられるか?を考えることではなく、

今日のプリント1枚をやることだけだろう。

時間忘却

高13

19:27

ミス:1

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高13のプリントは、

今日で5枚目でした。

1〜4枚目まで半分を1日分として取り組みました。

1、2枚目は答えを見ないと解けないものもありました。

3枚目、4枚目となると答えを見ないと解けない問題は前後半で1個ずつでした。

5枚目は通して答えを見ずに解くことができましたが、16分の目安時間に届きませんでした。

これまで、1枚のプリントを半分に取り組んできたせいか、時間を気にしない学習が続いていました。

本日は8日ぶりに1枚のプリントを取り組んだことになります。

気付いたらプリントを終えており、時計を一度を見ずにプリントを終わっていました。

19分間、計算にだけ集中していました。

19分後にタイムスリップしたような不思議な感覚がありました。

今までにも何度か、時計を見ずにプリントを終えることはありましたが、

これだけの長い時間、雑念なくプリントに向き合えた体験は初でした。

この感覚をアタマで考えてもう一度やろうとしてもできないと思います。

色々と条件や体調もあると思います。

次はあと2枚くらいやれば高13のプリントは合格するんじゃないか?

という予感があります。

この予感がプリントを学習を邪魔しないような向き合い方が大切な気がします。

隙有隙無

高12

18:01

ミス:2

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在宅勤務になり、時間がある。

行うべき作業があるが、今までよりもらくだプリントをやる環境ではある。

しかし、在宅勤務になってからもやらない日はある。

どれだけ時間があっても自分でリズムを作り出せることが1日を送るには大切だと感じる。

1日のリズムを仕事によって作られていたことにも気づいた。

その仕事のリズムには自分を近づけていくしかない。

いまは自分のリズムを自分で構築できる。

反面、どう過ごすかが難しいと感じることもあるかもしれない。

時間がるのかないのかなんて自分で決めることだ。

1日のやることをある程度、決めて自分で守っていければいいと思う。

自壁自作

高12

時間:計測ミス

ミス1

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プリントには目安時間のミスの数が決まっており、この基準をクリアすればそのプリントは合格となる。

この基準は誰かがこのプリントを見て、判断したり評価したりするものではなく、

プリントそのものに客観的な判断基準がある。

 

らくだプリントの奥深さは、

この判断基準以外が学習者裁量であると点だ。

もちろん、学習の手引きは存在する。この手引きをまずは型としてやってみた方が、プリント学習の意味合いや効果を引き出せると思っている。

(私自身が説明書を読まないたちなので、プリント学習での気づきや疑問を井上さんに聞くと手引きに書いてあることが多かった。笑)

プリントは1枚単位である。

何枚やってもいい、1枚を分けてもいい。

同じ種類をやり続けてもいい。

とにかくどう使ってもいい。

 

プリントを通して浮かびあがる自らの課題に取り組もうとすれば、自然にその人独自の教材の使用方法が現れてくると思っている。

自分で壁を作っては楽しくよじ登る。

根本点検

高9

12:35

ミス3

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問題を起こしたのか、起こされたのか、起きてしまったのか。

問題を問題をとして捉えているのは誰なのか。

なぜそれは問題なのか。

何が、誰がそれを問題だとしているのか。

 

そんなことを考えていくと、前提のズレが見えてくる。

そのズレは根本的でシンプルなものほど、

表出してくるときに大きな問題として捉えられやすくなる。

 

根本のズレのありかは一人で探すことは難しい。

だから他者が必要だし、学ぶには仲間が必要だろう。

 

根本のズレは点検を忘れるとすぐに見えなくなる。

アタマが発達してしまった私たちは、

自分の点検はいつも自分でしてあげる必要がある。

雑念無念

高8

14:51

ミス:4

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高校8のプリントは31問の目安時間は12分。

29問目までは時間を見ずにやれていたのですが、ふと時間を時計を見てしまいました。

12:10でした。

すると、アタマ的思考が発動し、

・30問目か31問目だけやって時計を止めようか?

・どちらの問題を解こうか?

・うわこれ雑念だ・・・!?

なんて考えているうちに時間は進み、集中状態から外れてしまいます。

(集中状態から外れるというよりは、意識の使い方を切り替えてしまったという感じでしょうか・・・)

結果的に14:51かかり、31問目はミスに終わります。

そして4問のミス。

今日合格しても、明日合格しても良いのに、

これで合格したい・・・!

という謎の意識が立ち現れました。

 

自分を邪魔するのはいつも自分で、

アタマ的な意識に持っていかれているのでしょう。

アタマで考えてはいるのだけども、

アタマは使い方次第です。

寺子屋がどんな場所か説明しました。

今日は寺子屋がどんな場所かを伝える場面がありました。

居心地は良いけど、背筋がちょっぴり伸びる場所。

かと思えば、とっても難しい本も置いてある。

塾長には何を聞いてもok。

落ち着くってことでいえば隠れ家的な喫茶店にもなる。

学べるとなれば大学の教授の部屋にもなる。

なんて説明をしました。