研澄仮出

中1−31

ミス9

13:29

 

自分と向き合う時間をとると、

自分の調子が自分だけの影響でないことがわかってくる。

自分の選択は自分に返ってくるのだけど、

その選択には、他から多分な影響を受けているからだ。

他から影響をあまり受けずに自分が選べている領域のことと、

他からの影響を受ける中での自分が選んでいることを何となくでも分けてられると、

自分がやれることに限りが出てくるから少しながら楽になれる気がしている。

 

自分が変えられることなのでは?という仮定(問)が湧き出てきたなら、少しずつやってみてはどうだろう。

そうでないなら、諦めて、やめてみるのはどうだろう。

 

終わり

不自自作

中1−30(手書き2枚目)

寺子屋に行かなかったので、B4の紙に問題書いてやってみました。データをその日のうちにもらったのですが、職場で印刷するのを忘れてしまって2枚目の手書きです。笑 平井さんのすごさを体感(できているのかな?)中です。笑

12:25

ミス3

 

プリントをやると決めていて、

「”プリントをやりたくない”からやらない。」

という状態は自由を行使しているように見える。

しかし、

やると決めて”やりたくない”という自分の認識で、

(やると決めてやらなかった事実も同時に発生)

結果やれていないのは、不自由ではないだろうか?

”やりたくない”自由を行使することで変化をしないでいたいのかもしれない。

 

やりたい・やりたくない

に関わらず、

いつならできるだろう?

と試行錯誤することが結果として、

「いつでもどこでも”スッと”プリントをができる。」

という自由に向かう。

試行錯誤する過程では、なかなかうまくいかない自分と向き合わなくてはいけないし、自分が自分の思うように動かないから不自由に感じる。

だからこそ、”できない体験”が重要で、そこで自分と向き合うかどうかは鍵になる。

できないからと言って苦しむ必要はない。

なんだか自然と”できる”状態へ向かう道筋は皆違う。

自分が知らずに課せている思い込みを外し、

自分で自分を動かしやすいフレーミングを新たに課せていくことが”できる”に向かう一歩めのような気がしている。

 

終わり

選感鋭化

中1ー28

9:43

ミス:3

 

・近況

数字や問題の組み合わせによっては、アタマの使い方のくせのようなものの影響からか、どうしても間違えてしまうものがある。

でも、ミスを繰り返せば必ず止められる日が来る。

プリントをクリアできるのだから。

そのミスが気になるなら、そのミスが起こらないようになるまで、時間を気にせずやると決めてもいい。

使い方は無限大だ。

私の場合は、合格したら次のプリントに行きたくなる性分なので、手持ちにクリアしたプリントしかなく、そのプリントをやることになると、なんだか気が抜ける。

しかし、最近はそのプリントこそきっちり向き合って大切にやることで見えてくるものもあるような気がしている。

2枚ずつ持って帰るのを、3枚にしてもいいかもしれない。

 

・テーマのわけ

選ぶ感覚が鋭くなっている気がする。

未来デザインとらくだを同時進行で行なっていることも理由の一つかもしれない。

選ぶことに時間がかからなくなった。

というより、以前よりもアタマで考える前に直感で選ぶことをするようになったのかもしれない。

「アタマで考える」というより、時間をかけて情報を集めて判断すると表現した方が良いかもしれない。

時間をかける事柄と、直感に任せてみてもいい事柄にメリハリが出てきたのかもしれない。

大流乗捉

中1−22

10:30

ミス:10

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・1月振り返り

1月のプリントをやらなかった日

18日(金):修学旅行最終日

19日(土):未来デザイン1dayセミナーを休んだ日

21日(月):18:00から翌日6:00まで睡眠した日

31日を残しているが、

この3日以外はプリントをやった。

この結果から、1月を振り返り、1月を名付けるなら「なんだかスッとやった月」だろう。

しかし、頑張った感は一番少ない。

やれてない感覚も、

やったなー!という感覚もどちらも少ない。

 

・「やらなかった日」、「やった日」について

「やらなかった日が悪い・やった日がいい」ということでもない。

事実としてやらなかった日の中身が「清々しくやらなかった日」になることもあるし、事実としてやった日でも「もやもやが残るやった日」になることもある。

「清々しくやらなかった日」はあっても、

やらなかったのは自分なので、

「やらなくても仕方がない日」というのはない。

「プリントをやった日」と「やらなかった日」という事実しかないのに、

「朝やると良い」という呪縛は、朝やらなかった日をイマイチなものにする。

「集中してやれると良い」という呪縛は、注意散漫にプリントをやった日をイマイチなものにする。

 

・やれる時にやる

やれる時にだけやればよい。という意味ではない。

やれる時間は必ずあるので、

言葉の通りだが、

「やれる時にやる。」

のだ。

プリントをするのは前提。

 

・自分では感知できない自分の中にある大きな流れ

自分の意識レベルで認識できているモチベーションとか、やる気とか、目に見える環境の影響とは別に何かある(いる)んだろうなぁというのを最も感じた月だった。

止考穏心

中1−20

9:25

ミス2

 

寺子屋に来るとなぜだが安心をします。

なぜこんなに安心するんだろう。

色々ありそうなので書いてみます。

 

まずは、らくだメソッドの振り返りをするので自然と今日付近を振り返ります。

この一週間なり、これからのがどうだったかな〜?

っと。

ああしとけば?とか、こうしていくか??

とかでなくて、

過去の自分の状態がどうで、

それでいて今の自分の状態がどうなのかを自然と掴もうとするのだと思います。

嫌なことも思い出しますが、過去のことで過ぎたことなので、

笑いあって消化できるものはできてしまいます。

先の不安も一人で考え込むこともありません。

皆で話し合えることなら何となくシェアできます。

 

らくだのことも共有できるし、

らくだの共有には誰がすごいとかっていう競争もない。

立場なく、評価されない現状について意見交換ができる。

 

交わりつつ、自分に矢印を向ける時間がある。

そんな場所なんでしょう。

 

紙向自向

中1−13

ミス7

19:43

 

プリントをやりたくない時、

プリントをそのものをやりたくないんじゃなくて、

何でプリントをやりたくないだろう?

って自分と向き合うことが出来ない、嫌、面倒、無理なんじゃないかな。

 

おわり

 

失再成功

中1−9

11:42

ミス:1

 

その失敗を直視せず何が失敗だったか確認しないと同じ失敗をする。

失敗を直視して、その失敗の理由を確認しても、失敗をすることもある。

失敗の確認を何度もしていれば、失敗をしそうな時に失敗の記憶が蘇ってくる。

(その失敗の記憶はカラダが覚えている。)

失敗の記憶は、失敗していることを直視して確認しないと、失敗の記憶として残らない。

失敗を失敗だと直視すること

 

おわり