止考穏心

中1−20

9:25

ミス2

 

寺子屋に来るとなぜだが安心をします。

なぜこんなに安心するんだろう。

色々ありそうなので書いてみます。

 

まずは、らくだメソッドの振り返りをするので自然と今日付近を振り返ります。

この一週間なり、これからのがどうだったかな〜?

っと。

ああしとけば?とか、こうしていくか??

とかでなくて、

過去の自分の状態がどうで、

それでいて今の自分の状態がどうなのかを自然と掴もうとするのだと思います。

嫌なことも思い出しますが、過去のことで過ぎたことなので、

笑いあって消化できるものはできてしまいます。

先の不安も一人で考え込むこともありません。

皆で話し合えることなら何となくシェアできます。

 

らくだのことも共有できるし、

らくだの共有には誰がすごいとかっていう競争もない。

立場なく、評価されない現状について意見交換ができる。

 

交わりつつ、自分に矢印を向ける時間がある。

そんな場所なんでしょう。

 

失再成功

中1−9

11:42

ミス:1

 

その失敗を直視せず何が失敗だったか確認しないと同じ失敗をする。

失敗を直視して、その失敗の理由を確認しても、失敗をすることもある。

失敗の確認を何度もしていれば、失敗をしそうな時に失敗の記憶が蘇ってくる。

(その失敗の記憶はカラダが覚えている。)

失敗の記憶は、失敗していることを直視して確認しないと、失敗の記憶として残らない。

失敗を失敗だと直視すること

 

おわり

自約自守

中1-8

15:28

ミス:8

 

自分との約束を自分で守っていくこと。

これを他者に勧めるなら自分もやってないといけない。

 

やっていないといけないというのは、

自分との約束を自分を守っていくこと=努力

努力=辛いことをすること

辛いことを勧めるなら自分もやる。

というロジックではない。

 

自分との約束を自分で守っていくことを続ける中で、

自分に起こることを自分でもモニタリングしないと、

自分との約束を自分で守っていくことで何が自分に起きてくるのかを、

勧めた人と共有できないからだ。

 

おわり

指標有心

中1−6

ミス4

14:51

 

一日一枚のプリントはできるはずなんだ。

だけど、できたりできなかったりする。これは現象。

この現象(事実)から何を抽出するのか。

できない・できるに一致一憂しても良いが、一喜一憂しなければいけないわけじゃない。

またこの一週間で、1日一枚のプリントと向き合う(脳裏を過ぎる)中で何を感じるだろうか。

おわり