氏名記入
原則、1日、1枚。
原則なので、自分の環境や状況、自分の力などを踏まえて、プリントをどう扱うかは学習者に委ねられている。
これまで学習を進める際に、主導権を握られることが多かったからか、学習者はプリントをどう扱うかを迷うこともあるだろう。
井上さんや他の学習者からの提案を受けても、結局はその提案を採用したのは自分であり、プリントに取り組んだのは自分である。
「氏名だけ書いてみよう。」
と提案されて、
「氏名だけ書けば良いのか、、」
と氏名だけ書いていても、
氏名だけ書いていれば良いかどうかは学習者の中に自然と湧き上がってくるはずだ。
プリントに名前だけを書くのにも意味がある。
というより、意味や効果を見出せるかどうかは学習者次第なのだ。
1日楽進
高校20
ミス:2
19:59
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週に1枚のプリントが出来ている。
どんな時期でもその時に最適なリズムがある。
無理はせず、歩みを止めすぎない。
止めた分だけ歩み始めは負荷がかる。
全力疾走を繰り返すのも、一歩ずつ確実に進むのも同じ距離。
同じ距離を進むにしても出来るだけ疲れたくない。
コツコツのがらくだ。
難遅進行
高校19
13:30
ミス:2
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難しいことはなかなか成果が出ない。
できるようになれるかどうかは、1日の積み重ねしかない。
毎日頑張ろうとせず、
今日、1日にできることに集中する。これしかない。
これしかないこととカラダとアタマに刷り込むには、
毎日プリントをやり続ける中で、裏技を探したりとか、妄想してみたりしながら、これらに意味がないことを知ることも大切だろう。
毎日続ける方法、ルーティーンを持つ方法など存在はしない。
1日にできることを物理的にやること
をスタートにする。
そこからとっても遅くても実感がなくても、続けること。
これしかない。
失敗必然
高校18
ミス:4
13:07
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完全にわからない問題が2問ある。
1問のミスまではOKであるから合格を目指しているのだが、2回連続でミス4個だ。
ミスをしないようにしてもミスはする。
ミスをしようとしてミスをしている人はいなんだと気づく。
ミスをすることを指摘するのではなくて、ミスしないようにする具体的な提案が必要だ。
私の場合は、目を背けている2問をどうにかする方がいい。
そうしよう。
学校駱駝
高校17
ミス:5
16:19
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”らくだ的”に学ぶことを学校に取り入れようとしているが、
らくだ的に学ぼうとすれば、らくだ教材が必要になります。
当たり前のことなのですが、学校で”らくだ的”に学びの場を開こうとすればするほど、教材の重要性にぶつかります。
らくだ教材は”できない”の塩梅、”俺できるようになってきてんじゃね?”という奢りの発生させ具合いなどのバランスがとても良いのです。
評価や時間などの縛りもありますが、生徒がどれだけ学ぼうとするかは自由。
全員に100点を取らせる必要はなくても、全員が70点を取れるチャンスは用意できます。
”らくだ的”に学ぶことの何たるかを日々研究しながら、学校での実践に取り組みます。
楽紙と私
高校15
ミス5
時間:ノーカウント
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高校教材に入ってから、1枚を半分にして時には時間も計らずにプリントに取り組んでいます。
一枚目は計らずに二回に分けて解く。
二枚目は測って二回に分けて解く。
三枚目から1枚単位で。
これは方法論ではなくて、
「今日、プリントに向き合うにはどうしたら?」
と問うて、自分で自分のルールを作り直していくようにしてたらこうなった感じです。
1日1枚をやるという原則があるのはこのためなのでしょう。
原則に縛られず、原則を無視しない。
自分の納得感も優先しつつ、教材本来の力や効力も無視しない関わりができるのはらくだプリントの凄さかもしれません。