自反自応

中2ー28

ミス:2

30:20

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30分近くプリントをやっているが、長いとは思わない。

プリントをすることで、喜怒哀楽の反応が減ってきている。

プリントをやっている時、自分に何か影響を与えて気持ちを変化させる人やモノはない。

反応しているのは自分だから。

 

おわり

自分之起

中2ー25

20:18

ミス:4

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[5月の振り返り]

5月はらくだをやらない日はなかった。

なぜだか、

「らくだを毎日、続けてやった。」

という表現でなく、

「やらない日はなかった。」

という表現がしっくりくる。

 

何だろう、

「もう1人の自分が、プリントを行なった。」

という感じだ。

私がプリントをやったというより、

プリントをやったという事が起こった。

というべきか。

何だろうか。自分でもよくわからないのだが、そんな感じだ。

頑張らず、意志にも振り回されず、(雨にも負けず・・・笑)

 

自然と、

「今日のプリントはこのタイミングだろうなぁ。」

という直感が働くようにもなっている気がする。

 

おわり

無考時間

中2−19

ミス0

14:17

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何も考えなくていい時間というのは贅沢だと思う。

それは考えている時間が多いともとも言えるが、私の場合はイイ時間だ。

何も考えないでよい時間が増えてくれば、

新たに問いや疑問が生まれ、

何かが始まるようになっているとも思う。

 

らくだメソッドも何も考えない時間の一つだろう。

 

何も考えないというのは、「らくだ以外のことを」という意味だ。

自分のことでいっぱいいっぱいであれば、

湧き出てくる問いや疑問もその程度だろう。

余裕がある時だと、プリントを1枚やるにしても色々なことに気づけるし、問える。

 

これは、寺子屋で過ごす時間にも言えることだろう。

私の場合は、

らくだをやり、ブログを仕上げ、談笑したり、時には読書もする。

 

忙しい時には、らくだをしたら帰るが、

忙しい中でのこのひと時がとても大切であったりする。

余裕のある時には、ふとアイディアが降ってきたり、

様々なご縁でグッと世界が広がったりする。

 

寺子屋は日常生活のアクセルとブレーキのような場所であり、

らくだもそんな教材だと思う。

 

おわり

体先頭後

中2-17

ミス:1

21:12

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[能力向上を目的にしない]

やろうとしないとやれるようにならない。

出来るようになろうとしないと出来るようにならない。

しかし、

出来るように、やれるようになることを目的とすると辛い。

やれば、出来るように・やれるようになっていく方向に向かっていく。

そのためには色々なことに気づいていくだろうけど、

それは人によって気づくことは違う。

だから周りを見ずに、やることに集中するといい。

 

[習慣化を目的にしない]

コツコツやること・やり続けることは大切だけど、

これを目的にするのも辛い。

「コツコツと、やり続けること」は、

存在しない未来をアタマで想像して、

今負わなくていいこと・明日やればいいことも想像してしまっている。

今日のことについてだけ集中して、やりきればいい。

明日が無事、今日になってくれれば、その今日という日の中でやりきればいい。

 

[今日の自分に一喜一憂しない]

いけてる自分も・イマイチな自分も作り出しているのは自分でこれは(アタマの)認識。

自分で全てをコントロールできるだなんて考えてしまうと

イマイチな日があっちゃいけないような気になる。

色んな事・もの・人から多大な影響を受けて生きているので、

自分ではどうしようもできないことがある。

だけど、自分でどうにか出来る部分も必ずあるはずなのだ。

だからそこにだけ集中して、分けて考えることができれば楽になってくる。

 

おわり

本日已生

中2ー13

ミス:0

8:54

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4月振り返り

今月、らくだプリントをやらない日はなかった。

4月のすべてのプリントが検算を行うものだった。

 

プリントをする前にお酒を飲んでしまったり、

人との待ち合わせ前にプリントをしていて途中で終わってしまったり、

検算をやらなかったりした。

しかし、プリントはやる。

 

そのすべてを記録用紙に書く。

 

とても集中できる日も、そうでない日もある。

しかしそれに一喜一憂していてもしょうがない。

まずはどんな時でも、今の自分をそのまま見てみること。

その日の自分はその日にしか立ち現れない。

そう考えると、

”毎日の中に今日がある”

というより、

”今日は今日でしかなく、その今日が結果として、毎日として続いている”

という感覚が鮮明になる。

この表現が正しいかどうかはさておいて、私はこっちの方が”ラク”だと感じる。

 

自分の努力ではどうしようもないことなんて山ほどあるから。

私の場合、気圧に変化があると花粉症の症状とともにだるくなる。

職業柄、嫌がっても4月の忙しさは毎年のようにやってくる。

忙しくなりがちな4月からは逃げれられないなら、

少なくとも、忙しそうな顔をしないようにはできる。

睡眠時間を確保することはできる。

そう考えるとやれることは限られている。

その限られている当たり前のことをコツコツとやることがとても重要だということがわかる。

しかし、これがなかなかできない。笑

 

らくだのプリントを毎日やるためには”努力”や”意思”ではなく、

”工夫”だと思う。

この工夫は一つの方法論ではない。

皆違うライフスタイルの中でらくだを毎日やっていくことに対する工夫は皆違う。

この工夫をしていくことが、

変えられること

変えられないこと

を見分けることにつながると思う。

 

(まだまだあるけど)

おわり

今日明日

中2-11

ミス0

9:03

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今日の分は今日だけしか進めない。

 

今日の進み方は今日しか体感できない。

というのは、

今日の環境(世界)や体調(自分)は今日しか体験できない。

だから、

今日できなかったことはまとめて明日できるわけではないだろう。

 

「今日やることは今日やり、明日やることは明日やる。」

というのは、

今日でしか体験できないことは今日に、

明日でしか体験できないことは明日にやるということ。

 

おわり

 

物差自生

中2-9

ミス0

32:28

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・やれる時にやる

やれる時にやるというのは、

やれる時だけやるのではなく、

やれる時にやるという前提。

なので、

やれる時にやるのだ。

 

・やれるようにやる

プリントの合格目安は、ミス3個以内と時間が設定されていますが、

”プリントをする・やった”という基準は学習者が決めればいい。

全部やらなくていいんですか?

とか、

一文字書いて終わっていいんですか?

とか質問が湧いてきたのなら、

まずそうやってみて、自分がどう感じるかを記録してみるといいかもしれない。

自分が今日やれるだけ・進めるだけ進めさえすれば、いつか合格できる。(はず。笑)

そう、やれるようにやればいい。

やれるようにやれば、今日もできる。

 

おわり