失之人豊
中2-5
ミス0
13:06
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失敗やスキがあるから人は人らしくいられる気がする。
その失敗があるから、支えてもらえる。
その失敗があるから、笑い話になる。
その失敗があるから、人に知識が伝わる。
・・・・
調子が悪いとき、やむなくプリントをやってミスをするとイラっとすることがある。
イラっとすることもあるけど、
なんでこんなミスしたんだろう?と興味が湧くこともある。
失敗は起こる。
失敗を起こさないようにではなくて、
失敗がどう起こるかに目を向ける。
おわり
細長地続
中2-4
ミス0
27:59
状態を表す言葉として
「ただやってるだけ」
と表現されると、アタマが動いていなくて惰性でやっているというようなイメージがあるかもしれません。
今、自分はそんな状態です。
スッとやりたいことがアタマに邪魔されるくらいなら、作動しなくて良いタイミングもあるかもしれません。
アタマにも長所と短所があります。
感覚とカラダからのフィードバックで事足りることもあります。
やっていて、なんとなくモヤっとしていることがあったなら、
自分で少し考えた後に、誰かに聞いてみると良いでしょう。
アイディアは自分で閃くこともあるけど、
ひらめきの数は人の数だけありますから誰かのアタマを借りてみてもいいかもしれません。
おわり
下降自覚
中1ー34
ミス5
13:40
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2月振り返り
2月はらくだをやらない日はなかった。
前半の印象は、
「らくだをやっておくと良い時間に、いい感じにはまってやれた」
という感じ
後半は、
「さぁーやるぞーーーー、、、…ふうやるか。。よし終わった。」
という日が多い印象。笑
大きな波がある。
良い感じも悪い感じも全て自分。
良い状態を作るから悪い状態が生まれるのかも。
自分の決めたプリントをやった日々が続いたという事実には変わりないので、
スッとできるのも、スッとできないのも同じといえば同じです。
スッとでできる・できないに振り回されず、
ありのままの自分をモニタリングをしていこうと思いました。
今年に入って1ヶ月続けてらくだをやったのは、2回目ですが、今回の方が頑張らずにやった感じがします。
(「やれる時にやっていたら、自然にできていた」という感じ。)
自分と向き合いながら、プリントを毎日1枚やれるようにすればどうしたら?
と少しずつデータを取りながら、試行錯誤していくことで、
プリントができる自分になっていっている気がします。
もちろんやらない(できない)日もあると思いますが、
(3月5日ができなかった。(やらなかった))
なぜやらなかったのかを、自覚できていればOK。
次に繋げ続ければOK
そんな感じで、続けようとせず、頑張らず明日もプリントがやろうと思います。
終わり
研澄仮出
中1−31
ミス9
13:29
自分と向き合う時間をとると、
自分の調子が自分だけの影響でないことがわかってくる。
自分の選択は自分に返ってくるのだけど、
その選択には、他から多分な影響を受けているからだ。
他から影響をあまり受けずに自分が選べている領域のことと、
他からの影響を受ける中での自分が選んでいることを何となくでも分けてられると、
自分がやれることに限りが出てくるから少しながら楽になれる気がしている。
自分が変えられることなのでは?という仮定(問)が湧き出てきたなら、少しずつやってみてはどうだろう。
そうでないなら、諦めて、やめてみるのはどうだろう。
終わり
不自自作
中1−30(手書き2枚目)
⇨ 寺子屋に行かなかったので、B4の紙に問題書いてやってみました。データをその日のうちにもらったのですが、職場で印刷するのを忘れてしまって2枚目の手書きです。笑 平井さんのすごさを体感(できているのかな?)中です。笑
12:25
ミス3
プリントをやると決めていて、
「”プリントをやりたくない”からやらない。」
という状態は自由を行使しているように見える。
しかし、
やると決めて”やりたくない”という自分の認識で、
(やると決めてやらなかった事実も同時に発生)
結果やれていないのは、不自由ではないだろうか?
”やりたくない”自由を行使することで変化をしないでいたいのかもしれない。
やりたい・やりたくない
に関わらず、
いつならできるだろう?
と試行錯誤することが結果として、
「いつでもどこでも”スッと”プリントをができる。」
という自由に向かう。
試行錯誤する過程では、なかなかうまくいかない自分と向き合わなくてはいけないし、自分が自分の思うように動かないから不自由に感じる。
だからこそ、”できない体験”が重要で、そこで自分と向き合うかどうかは鍵になる。
できないからと言って苦しむ必要はない。
なんだか自然と”できる”状態へ向かう道筋は皆違う。
自分が知らずに課せている思い込みを外し、
自分で自分を動かしやすいフレーミングを新たに課せていくことが”できる”に向かう一歩めのような気がしている。
終わり
選感鋭化
中1ー28
9:43
ミス:3
・近況
数字や問題の組み合わせによっては、アタマの使い方のくせのようなものの影響からか、どうしても間違えてしまうものがある。
でも、ミスを繰り返せば必ず止められる日が来る。
プリントをクリアできるのだから。
そのミスが気になるなら、そのミスが起こらないようになるまで、時間を気にせずやると決めてもいい。
使い方は無限大だ。
私の場合は、合格したら次のプリントに行きたくなる性分なので、手持ちにクリアしたプリントしかなく、そのプリントをやることになると、なんだか気が抜ける。
しかし、最近はそのプリントこそきっちり向き合って大切にやることで見えてくるものもあるような気がしている。
2枚ずつ持って帰るのを、3枚にしてもいいかもしれない。
・テーマのわけ
選ぶ感覚が鋭くなっている気がする。
未来デザインとらくだを同時進行で行なっていることも理由の一つかもしれない。
選ぶことに時間がかからなくなった。
というより、以前よりもアタマで考える前に直感で選ぶことをするようになったのかもしれない。
「アタマで考える」というより、時間をかけて情報を集めて判断すると表現した方が良いかもしれない。
時間をかける事柄と、直感に任せてみてもいい事柄にメリハリが出てきたのかもしれない。
大流乗捉
中1−22
10:30
ミス:10
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・1月振り返り
1月のプリントをやらなかった日
18日(金):修学旅行最終日
19日(土):未来デザイン1dayセミナーを休んだ日
21日(月):18:00から翌日6:00まで睡眠した日
31日を残しているが、
この3日以外はプリントをやった。
この結果から、1月を振り返り、1月を名付けるなら「なんだかスッとやった月」だろう。
しかし、頑張った感は一番少ない。
やれてない感覚も、
やったなー!という感覚もどちらも少ない。
・「やらなかった日」、「やった日」について
「やらなかった日が悪い・やった日がいい」ということでもない。
事実としてやらなかった日の中身が「清々しくやらなかった日」になることもあるし、事実としてやった日でも「もやもやが残るやった日」になることもある。
「清々しくやらなかった日」はあっても、
やらなかったのは自分なので、
「やらなくても仕方がない日」というのはない。
「プリントをやった日」と「やらなかった日」という事実しかないのに、
「朝やると良い」という呪縛は、朝やらなかった日をイマイチなものにする。
「集中してやれると良い」という呪縛は、注意散漫にプリントをやった日をイマイチなものにする。
・やれる時にやる
やれる時にだけやればよい。という意味ではない。
やれる時間は必ずあるので、
言葉の通りだが、
「やれる時にやる。」
のだ。
プリントをするのは前提。
・自分では感知できない自分の中にある大きな流れ
自分の意識レベルで認識できているモチベーションとか、やる気とか、目に見える環境の影響とは別に何かある(いる)んだろうなぁというのを最も感じた月だった。