心機継続
中3-42
ミス:3
14:45
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2学期を終えた。
人生で6回目の2学期だ。
これまでの2学期は毎回、息切れしていた。
今回はゆったりと疲労を感じながら2学期を終えた。
低空飛行で安定して飛んだ感じだ。
今ままでにないほど、部活動に時間をかけた。
それでも大きくバランスを狂わさず終えられたのは、
遠いところからでも、どこかで自分を見つめる時間をプリント学習を通して行ってきたからだろう。
プリントは毎日やっていない。
しかし、冬休みは全部やらなきゃ・・・とか、新年から心機一転する気もない。
毎日のプリントを行える生活を送ることに意識を向けたいと思っている。
12月はほとんど寺子屋に来れなかった。
1月に予定した日に来れるようにする。
というより、
自然と足を運べるような生活をする。
ことなのだろうと思う。
喪失生進
中3-38
ミス:1
8:56
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丸つけという作業
丸付けという作業は、さっきまでの自分を書き換える作業のように思う。
正解した問題には丸を付ける。
丸を付けるということは、
「とりあえずはこの問題に対しての考え方は合っていた。」
という確認だと認識している。
(とりあえずというのも大切)
間違えた問題があれば、チェックをつけるだろう。
(〇との違いに判断がつけばチェックのカタチは何でもOK)
問題を間違えた時が大切で、
間違えたままにすることもできるが、何も手を付けなければ同じミスをすることが多い。
問題をみて見ぬふりをすれば、先延ばしにはできても解決はしない。
間違えをそのままにしてしまう心理には色々あるだろうが、
一つは問題をアタマで本来の負荷より遥かに大きく負荷を見積もってしまっていることだろう。
問題の解決に見通しがつかないのは不安だ。面倒だとも思う。
しかし、とりあえずは問題と向き合ってみて全体像をとらえようとすれば、アタマで広げ想像したほどの問題でないこともあるかもしれない。
二つ目は、間違えた問題をなおすことが今までの自分を否定する感覚に近いことだ。
千葉雅也さんの著書である「勉強の哲学」では、
「勉強とは自己破壊である。」と表現されている。
間違えた問題(今までの自分の感覚)を否定して書き換える。(自己を喪失する。)
無意識下での恐怖がミスをなおすわずらわしさにつながっているかもしれない。
そういった意味ではらくだプリントは、自分のペースで自己を喪失させられるツールかもしれない。
ミスと向き合うとは、自分と向きあうことにもなる。
いつもいつも、自分と向き合えるわけでもない。
喪失だけでなく、自分のペースで少しずつ前に進んでいける教材であると感じている。
淡々粛々
中3-35
ミス:2
12:32
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淡々と粛々とプリントをやらない日が増えている。
まさかこんなにやらない日が増える月が来るとは思わなかった。笑
忙しいのもある。
プリントをやるには精神的・物理的な余裕がいる。
しかしながら、物理的な余裕はなくとも、物理的にプリントに取り組む時間はあるのだ。
プリントをやらないに到る要素は色々とあるが、プリントをやらないと決めているのは自分だ。
淡々と粛々とペースを取り戻すしかないだろう。
また少しずつ自分に問うていこう。
要考止考
中3ー31
ミス3
11:28
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プリントをやらない日は0じゃない。
やらない日は確かにチャンスが少ない。
しかし確実に時間はあるのだ。
時間があるというのは、
物理的に24時間あればどこかにやれる時間があるという意味もあるが、
さらに言えば、やりやすい環境・タイミングが1日の中に必ずあるはずだと思っている。
どれだけ忙しい1日でも、一番マシな時間があるはず。
そこでやれないと、やらなかった1日となってしまうことが多い気がしている。
1枚のプリントを丁寧にやる(やれる)時間を1日の中で探しておく必要がある。
これはらくだをやる(1日)前に考えてみてもいいことだろう。
とは言っても、プリントを目の前におき、時間を測り始め、解き始めればなかなか途中でやめることは少ない。
この状態にまでなって、やらない理由をわざわざ考えて、やめることも少ないように思う。
プリントをやるために考えることは本当に少ない。
やれるようになるために考える時間が取れているなら、その瞬間にすぐにプリントを始めればいい。
らくだプリントが出来るようになってきていると感じられる時は、
考えてからやるべことと、
やってみてから考えればいいことの見分けがついてきているのかもしれない。
苦楽逆転
中3ー28
16:10
ミス4
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9月の振り返り
今月は振り返りが書きづらい。
というのも、らくだプリントをやることに辛さをほとんど感じなくなった。
出来ないことが現れては、できるようになる繰り返しだ。
これはシンプルに嬉しいことだ。
この感覚は何をやるにしても支えになる。
自分の能力や才能などではなく、1日の積み重ねがこそがこの感覚を得る近道なのだろう。
とは言っても、プリントをやらない日はまだある。
自分にまだ伸び代がある。
楽しみだ。
要併不要
中3−24
ミス2
時間:計測ミス
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人には自然に学習する力や、物事を最適化する能力が備わっていることを前提にすれば、
やる気に頼らなくても、大きな得がなくても、目的がなくても学んでいける。
あるいは、学ぼうとしなくても、日々学びながら生きていると言ってもいい。
しかし、多くの場合、”学び”には時間や場所に線引きをして行われるものであるという感覚を多くの人がもっているのではないだろうか。
そういう場所で、そういう人から、そういう雰囲気の中で行われるものでなければ、学んだと言わないのだろうか。
学びを日常化するということは、毎日努力して、目的を見つけて、得したい一心で取り組むことでなく、
いろんなことに線引きをなくして、条件を削ぎ落として、何となく自分でやってみることではないだろうか。
踏出勇気
中3ー19
ミス1
13:09
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できるかどうか全く見通しがない状態で、
「まーでも、やればできんじゃないかなぁ、、、?」
という感覚を持つには、
「これ・・・できるのか???」
と疑ってしまうようなことを自分で何とか考えて、
乗り越えた経験があるかないかは影響しそうだ。
自分でやってみたけど、できない・・・
そして、誰かに助けを求め、その人が寸分の狂いもなく、ワカらしてくれる。
このパターンは私の職場でもよく起きる。
そのときはいい。
でもまた次も同じことが繰り返される・・・。
これは、その時の”わからない”からは一時的に解放される。
でも、”わからない”から脱却しようと試行錯誤する力が弱まる危険性がある。
放っておかず、その学習者からもらった問いを受け止めながら、問いかえしたり、共にその課題に取り組むことで、
その学習者の試行錯誤力を弱めず、勇気を高められるかもしれない。
終わり